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ふつうの人になりたい。

語学の先生はよく「この単語はよく使います」と言いますよね。 でも、その「よく」ってだれが決めるんだろう。 例えば「超(ちょう)」ということば。 「とても」をカジュアルに言うときに使いますよね。 「超おいしい!」とか「超たのしい!」とか。よく聞きますよね。 じゃあ「『超』は友達と話すときよく使う単語です。」と言っていいのかな。 私は「超」を使うけど、そんなによく使うわけではない。 「超」はちょっと若い人のことばって感じがするし、使いすぎると上品じゃない感じもする。 私は今39さいで、二人の子供の母親だから、あまり使いすぎないほうがいいかなという気持ちもある。 でも私の友達にもよく「超」を使う人もいる。 うーん… 「よく使う」の「よく」は人によってちがいますよね。 私は生徒から「Akoはふつうの人だからAkoが『よく使う』って言うならよく使うんだろうな」と思ってもらえるような先生になりたいと思ってます。 もちろん人として信用してもらえることが一番大事ですよね。 そしてときどきクラスで私の生活とか私の意見についても話して「Akoはすごく変わった人ではない。ふつうの生活をしているふつうの人。」って思ってもらえたらうれしいなと思ってます。 ちなみに「超」について私がする説明は… 「ちょっと若い人のことばっていうイメージがあるからあまり使いすぎないようにしてるけど、よっぱらってるときとか私もけっこうよく使っちゃってます。」 です。 うん、ふつうに正直にいこう!笑

コンビニとマックと安い居酒屋

食育(しょくいく)って聞いたことありますか。 英語でも food education と言うかもしれないけど、日本語の「食育」ということばは色んな意味を持っています。 (英語の food education がどんなニュアンスか分からないけど。) 食育は、食べることに関するすべて、たとえば栄養(えいよう)、マナー、料理、食事の文化などの全体的な教育のことを言います。 私は料理が好きだし、子供が二人(7さいの男の子と4さいの男の子)いるので食育にとてもきょうみがあります。 栄養のバランスを考えて、とか、食事のときテレビを見ないで、とか、もちろんそういうのも気をつけているけど、ほかに私が考えていることがあります。 それは、家で私が作ったものを食べるとき以外は「食べちゃいけないもの」のルールを作らないこと。 変な色のおかし(私は全然おいしくないと思う)とか、あますぎるジュースとか、今はうちの子たちはそういうものも大好き。 もう少し大きくなったら、きっと友達とコンビニでお弁当を買って食べたり、高校の帰りにマクドナルドに行ったり、大学生になったら安い居酒屋で飲みすぎたり… それらは全部、絶対に体にはよくないけど、でもそれ以上に「そのときしか楽しめない大切な時間」だと思うのです。 私は「うちではお母さんが体にいいものを作るから、外では好きな人と好きなもの食べてきていいよ!」という考えを持ちつづけたいな、と。 あ、「そのときしか楽しめない大切な時間」って書いたけど、安い居酒屋で飲みすぎるのは私は今でもけっこうよくやってるね…(笑)

「…に向いている」

「向く」(むく)というのは「そっちのほうを見る」という意味です。 北を向く = 北のほうを見る 右を向く = 右のほうを見る  「…の向かい」(むかい)は「…の反対がわ」。 うちの向かいにコンビニがある = うちの前に道があってその道の反対がわにコンビニがある  では「…に向いている」(…にむいている)はどういう意味でしょうか。 これは場所を説明する表現ではありません。 「…に向いている」は「その人の性格やタイプや考え方やスタイルが…に合っている」という意味です。  例文。  ・ケンさんはスポーツが得意だから、ジムのインストラクターに向いているね。  ・マリちゃんは料理がうまいからシェフに向いてるよ。  ・私は今の仕事に向いてないかも。新しい仕事さがそうかな。  ・「女の人はエンジニアの仕事に向いていない」by Googleの社員  などなど。  みなさんは自分が今の仕事に向いていると思いますか。  私は日本語の先生の仕事が好きだけど、ときどき「でも私は本当にこの仕事に向いているのかな」と心配になることがあります。  その仕事が好き = その仕事に向いている、 じゃないですよね。  それで、ときどきネットでほかの仕事をさがしてみたりすることも、実はあります。  でも色んな仕事についてしらべても「これやってみたい!」と思う仕事は全然なくて、やっぱり私は日本語の先生の仕事がやりたいんだなと、気付きます。  私が日本語の先生の仕事に向いているかどうかはまだ分からないけど、好きだから続けたい。まだまだがんばってみようと思います。